聞いてこなかった声を   加藤 誠

先日、沖縄で「三バプテスト合同牧師研修会」が開かれました。「三バプテスト」とは「沖縄バプテスト連盟」「日本バプテスト同盟」「日本バプテスト連盟」のことで、三者合同の研修会は実に17年ぶり二回目になります。今回のテーマは「『戦後70年』キリストの平和をつくりだす~沖縄から共に~」でした。

なぜ『戦後70年』に括弧がつくのか。本土に住む者はごく普通に「戦後」と表現し、「日本は70年間平和を守ってきた」と語るけれど、沖縄から見ると「戦争が終わり、平和になった」と言えない現実が続いている。1950年代、本土各地で事故や事件を起こす米軍基地への反対が高まり、基地が次々に移転した結果、沖縄に基地が集中し、事故と事件もまた集中していく。沖縄県民が「NO」と意思表示したのにオスプレイ配備が強行され、辺野古新基地建設も強行されようとしている。アメリカでは天然記念物のコウモリが住む森の上の飛行を禁じられているオスプレイが沖縄では自由に飛びまわる。そこに住んでいる人々の存在が無視され、発している声も聞こえないかのように扱われる。

研修会で沖縄の歴史と現実を学ぶほどに、これは沖縄に痛みを押し付けてきた「わたしの問題であり、本土の問題だ」と厳しく問われました。

自分が足を踏みつけているために隣で痛んでいる人がいるのに「平和だ」と言えてしまう、自らの感性の貧しさと鈍さを示されます。これまで聞いてこなかった声を聴くことは厳しい課題です。「仕方ない、自分には何もできない」と耳をふさぐ方が楽です。しかし、どうしたらいいのか立ちすくむ私たちの間に、十字架のキリストが立ち、「しかし、わたしは世に勝っている」(ヨハネ16・33)と宣言しておられることに励まされながら、聞いてこなかった声に向かい合っていく勇気をいただきたいのです。