巻頭言「希 望 ―イエスは生きておられる―」加藤 誠

 我が家の居間に小さな「日めくり」が置かれてる。カトリックの晴佐久昌英神父によるもので、今から五年前、四十歳半ばで逝ったMさんの家族から贈られたものだ。二十六日の「日めくり」に記された言葉に心がとまった。

 深い森の奥で光る  一枚の葉っぱになる

 葉っぱは光らない。でもなぜ光るのだろう。しかも深い森の奥。昼間でも光の届かない暗い場所で。

 それは、深い森の奥まで射し込む一筋の光があるから。深い森の奥でひっそり揺れる一枚の葉を慈しみ、覚えてくださっている方の祈りが確かにそこに注がれているから。

 あの日、ゴルゴダの丘は光を失い、真暗闇に包まれたという。人間の悪が「神の子」に勝利し世界を覆った暗闇の深さは、二千年経った今も変わらない。

 しかし、一つ確かなことがある。

 イエス・キリストの十字架は、今も暗闇の中に立ち続けているということ。

 あの日、イエスを十字架に磔にしたローマの百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」と告白した。彼は見たのではないか。真暗闇の中、イエスの十字架の上に天から一筋の光が射し込むのを。

 その天からの一筋の光は、今日も深い森の奥でひっそり揺れる一枚の葉に確かに注がれている。

 葉っぱ自身は光ることができない。しかし、ゴルゴダの十字架に射し込む光を見上げる時、小さな一枚の葉が暗闇の中で光を反射させるものとされる。