巻頭言「「パン種」が大事! 加藤 誠」

イエスは彼らに「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた(マタイ16・6)。

福音書には主イエスと弟子たちのかみ合わない珍問答の場面がしばしば出てくるが、この「パン種とパンの問答」もその一つである。主イエスがパン種の話をしているのに、弟子たちはパンの有無に気をとられている。「まだ、分からないのか!」とイラっとしている主イエスの顔が浮かんできそうだ。

主イエスが大事だと言われた「パン種」とはイースト菌のこと。日本の家庭の「ぬか床」のように各家庭に伝わり保存され、パンを膨らませ風味を豊かにするもの。「パン種」が元気だとパンは美味しく焼けるが、活力を失い腐っていると美味しいパンにならない。「君たちの心の中のパン種はどんな状態か、よく注意しなさい」と、主イエスは言われたのである。

一方で弟子たちは「パンをもっているかどうか」を気にした。「パンの奇跡」の場面でもそうだったが、目の前の現実課題を解決するのは「パンをどれだけ持っているか」だと彼らは考えた。つまり「財的な力、知的な力、才能など」である。「パンを少ししかもたない俺たちに何ができる?」と諦めていたのである。それに対して主イエスは「パン種」の大切さを語られた。ほんのわずかの「パン種」が小麦粉を大きく膨らませて神の国をもたらす(マタイ13・33)。パン(能力)の有無ではない。神につながる「活き活きした信仰」がわずかな小麦粉を用いて人々を笑顔にする美味しいパンにするのだと。