「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」(使徒11・26)
アンティオキアは、ローマ帝国シリア州の首都であり、シルクロードの出発地として非常に栄えた町のようです。この大都市の片隅で「イエスをキリストと信じる人々」が次々に起こされ、「キリスト者」(クリスチャン)と呼ばれるようになります。最初それは「あだ名」でした。口を開けば「キリスト」と語る連中という意味です。
一七世紀に英国に誕生した「バプテスト」も最初は「あだ名」でした。それまで幼児洗礼が常識だった時代に、口を開けば「自分で信仰告白をしたバプテスマが大事!」と主張する連中ということで、「バプテスト」と揶揄され、危険視されたのです。その「あだ名」を受け取り、喜んで自ら名乗りはじめたのが「バプテスト」だったのです。
そのことを考えるなら、「キリスト者」も最初は軽蔑と警戒が込められた「あだ名」だったものを、むしろ彼らは喜んで胸を張り、自ら「キリスト者」(キリストに属する者)と名乗るようになっていったのでしょう。
使徒言行録十一章を読むと、アンティオキアの「キリスト者」たちが喜びをもって歩んでいた様子が見えてきます。ユダヤ人と異邦人の隔てを超えた交わりを喜び(20節)、「主の御手」(21節)「神の恵み」(23節)を見出しては喜び、飢饉の困難にあるユダヤの兄弟たちへの援助を喜んで担う(29節)。