先日、大井教会で三人の方がバプテスマを受けられたという知らせをいただきました。私の実習期間に交わりを持たせていただいた方であったということも相まって、心の芯から震えるような喜びを感じました。
最近、ある社会学者が「宗教は襲い掛かってくるもの」と論じていることを知りました。宗教が個人化されている現代の日本では馴染まない感覚ですが、これまでの歴史では、家や地域、国と言った共同体が個人の宗教を決定するものだったようです。キリストへの信仰も、形は違えど、「襲い掛かってくる」という意味では同じです。私たちはキリストへの信仰を自分で選択して手に入れたのではなく、神の意志、みことばの力、聖霊の導きが襲い掛かってきたことによって信仰を持ったのです。
イエス様は「天の国はからし種に似ている」と語りました。それは私たちの内に蒔かれた信仰の種でもあります。幼いころ通っていたミッション系の幼稚園で教えられたイエス物語、町で見かけた教会の看板、家の書斎で見つけた聖書……信仰の種は私たちの人生のささやかな瞬間に蒔かれるものです。そして、その種は神の力によって私たちの頑張りとは関係のないところで成長し、信仰の実りを結ぶのです。
教会にバプテスマを受ける方が起こされるとき私たちは主によって蒔かれる種と、それを成長させてくださる神の力を目の当たりにします。そして、その力は戦争が激化する現代の世界でも確かに働いていることを信じたいと思います。たとえ、それが今は目に見えないほどの小さなものであったとしても、神の力による奇跡はすでに始まっているのです。