先週は、使徒言行録の使徒たちの目覚ましい働きの陰には「石ころや雑草だらけの土地が命の御言葉の実りをもたらす土地に耕されるように」と信じて祈り続けられた主イエスの存在があることを学びました。
使徒言行録四章後半には、その主イエスの祈りに呼応してささげられている使徒たちの、驚くべき祈りが記されています。
「今こそ、彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」(29節)
すごい祈りだと思いませんか。もし自分ならこの状況でどう祈るだろうかと問われます。「既得権益にしがみついて、自分たちの都合の良いように事実をねじ曲げ、神の言葉を恐れようともしないあの連中に、あなたの正しさを思い知らせてください!」とか、「彼らの理不尽な暴力から、私たちの命を守ってください!」とか、間違っている人々を正し、自分たちを守ってほしいというような祈りをするのではないかと。しかし使徒たちは御言葉を語ったゆえに牢屋にぶち込まれ、尋問を受けて脅されたのにも関わらず、「もっともっと御言葉を語らせてください!」と祈っているのです。
今年は戦後八十年。あの愚かな戦争に突き進んだ日本の私たち、そして戦争に協力して生き延びた私たち教会の歩みを振り返り、その歴史から何を学び取り、次の世代に手渡していくのかを考える時をいただいていますが、戦時中の教会の資料を読むたびに「自分がそこにいたら?」と繰り返し問われます。
「もっと御言葉を!思い切って大胆に語れるようにしてください!」と神に向かってまっすぐ祈った初代教会の信仰をいただいていきたいと願います。