先週の塩谷直也先生(青山学院)のメッセージに揺さぶられました。
礼拝後に食事をしながら懇談していると「放蕩息子の父親の姿が新しくされた」「弱り果てた父親の姿に涙した」などの言葉が交わされていました。
午後の教会学校研修会で語られた、聖書の物語は私たち一人ひとりの人生を神の恵みによる「新しい物語」に書き換える力を持っているという言葉に共鳴し、私たち一人ひとりが「歩く聖書」として、聖書の「信仰・希望・愛」を生きていく力強い励ましを受けました。
私たち大井教会が「これからの教会・教会学校」を思い描いていく上で、貴重な示唆をいただけたように思います。
今朝は、サマリアのシカルに住む一人の女性と主イエスとの出会いの物語(ヨハネ四章)に聴いていきましょう。
サマリアとユダヤは、互いに非難し合う「犬猿の仲」でした。ヤコブを父祖とするイスラエル十二部族同士でありながら北王国と南王国に分裂し、バビロン捕囚後はエルサレム神殿再建を巡って対立し憎悪をぶつけあってきました。
一方、ここに登場するシカルの女性は村の人々との交流を避け、身を隠すように暮らしていたようです。律法は彼女に「失格者」の烙印を押し、それが重い心のかせになってきたのでしょう。けれども主イエスと出会い、彼女は自分の人生が神さまの慈しみの中に覚えられていること、「失格者」ではなく「礼拝者」として生きる「新しい物語」に招かれている恵みを知ります。
そしてこの二人の出会いはサマリアとユダヤとの間にある見えない分厚い壁を打ち壊す「新しい出会い」となったのでした。