しんがりに立つ神   加藤 誠

イスラエルの人々がエジプトを脱出してまもなく、ファラオは変心し、「選り抜きの戦車六百」に「騎兵と歩兵」を動員して追撃を命じます。目の前は葦の海が広がり、背後からはエジプト軍が迫りくる事態に人々は神に訴えます。「我々を荒れ野で死なせるために、エジプトから導き出したのですか!」と。

すると不思議なことが起こります。先頭にいた神の御使いが最後尾に移動し、エジプト軍とイスラエルの人々との間に入ると、真っ黒な雲が立ちこめ、エジプト軍は決して近づくことができなかったというのです。

イスラエルの人々は総勢二百万人は下らなかったと思われますが、速く歩ける元気な若者たちに比べて、病気や障がいを抱えたり、齢を重ねた人たち、妊婦や小さな子どもを抱えた母親などはどうしても隊列の後方に固まりがちだったことでしょう。けれども、その足の遅い人たちの一番背後、「しんがり」に神が立たれたので、エジプトの最精鋭部隊も追いつけなかったのでした。

 

わたしたちの社会では「速いこと」が価値あるものと称賛され、「遅いこと」は「劣った、ダメなこと」と評価されがちですが、しかし、神は人間の一番歩みの遅いところを歩まれる方であり、その神を人間の誇る最先端の「速さ」や「力」は決して超えることができないことを、聖書は指し示しています。

今日は礼拝の中で敬老感謝の時をもちます。信仰の先輩方それぞれの人生の「しんがり」に立ってくださっている神を共に見上げ、その神が起こしてくださる救いの働きを見ていく信仰を共にいただいていきたいのです。

「恐れてはならない。落ち着いて、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(出エジプト14・13)。