靴屋のマルチン」という名で知られた劇の原作は「愛のあるところに神あり」というロシアの小説家トルストイの小さな作品です。
真面目な靴屋マルチンは妻に先立たれ、残された息子を男手一つで育てます。ところが、その息子がようやく父の手助けができるほど成長した時に病気であっけなく死んでしまい、マルチンは深く落胆します。「なぜ年老いた自分ではなく息子の命を召されたのか」と神を責め、自らの死を望み、教会に行くこともやめてしまう。「なんのために生きるのか、自分にはもはや生きる望みがない」と嘆くマルチンに、巡礼中の老人がこう厳しく諭します。「お前は間違っとる。自分の喜びのためだけでなく、神のために生きることをキリストから学べ。福音書を買って読め」と。早速その日のうちに新約聖書を買い求めて読み始めたマルチンは、福音書に描かれたイエスの行動や人々との対話を思い浮かべては考え込み、自分に問いかけ、思いめぐらす時間が次第に楽しくなっていくのでした。ある夜、夢の中で「マルチン、明日、お前の家を訪ねるぞ」と呼びかける声を聴いたマルチンは、翌日幾人かの人々との不思議な出会いの中に、共に生きておられるキリストを見出していく…というお話です。
姿を見ることもできず、その声を聴くこともできない「神」に向かって「祈る」ということは不思議な行為です。マルチンも最初、「神」の存在が理解しがたく、「祈る」気になどなれなかったのですが、福音書のイエスに親しみ、イエスの姿を心に思い巡らしているうちに、少しずつイエスが「父」と呼んでおられる「神」に自分も祈ってみたいと思うようになっていきます。つまり「祈り」とは「イエスを心に思いながら、見えない神に心を向けること」なのです。