巻頭言「真理とは何か?」加藤誠

 今年の受難節(レント)からイースターにかけて、主日礼拝ではヨハネ福音書を読んできましたが、皆さんは主イエスとのどのような新しい出会いや発見を経験されたでしょうか。

 わたしの場合は、十字架において主イエスが「成し遂げられたこと」は何だったのだろうと思い巡らし続けています。特に裁判の席で「わたしは真理について証しするために来た」(18・37)という主イエスの言葉を聴いて、「真理とは何か…」とつぶやく総督ピラトの姿がなぜか心に残っています。

 ピラトはそれまで「真理」について考えたことも、「真理のために生きる」など思い巡らしたこともなかったのでしょう。

 彼の最大の関心事は、ローマ帝国の属州であるユダヤを首尾よく治めて、少しでも高い税収をローマ皇帝に献上し、そのお褒めにあずかることでした。ピラトはローマの元老院を構成する貴族階級より下の騎士階級の出であり、数ある属州の中でユダヤ総督に抜擢された人物です。ただローマ皇帝への忠誠心を高めようと腐心すればするほど、ヤハウエ信仰に熱心なユダヤ人の激しい反発をしばしば招いて苦労したようで、最後には住民の訴えが発端となってローマへの帰還命令を受け、その後は公の歴史から姿を消しています。

 ピラトにとっては、ローマ帝国の社会でどうやって己を守って生き延びていくかが人生の最大の関心事であり、「真理」などどうでも良かったのです。

 そのピラトの前で、「真理を証する」ことに命を賭して、十字架刑に処する権限を持つ自分を恐れることもない「イエス」という人物は、理解できない不思議な存在だったことでしょう。しかし、その「イエス」こそ、ピラトを永遠の命と幸いに導くために来られた救い主だったのでした。