ここにわたしがいる   加藤 誠

二十年前、阪神淡路大震災直後に神戸教会で守った主日礼拝。バリバリと空を飛ぶヘリコプターの音と緊急自動車のサイレンの音。同じ街で痛み、涙している人々、救援に全力を尽くす人々を、それぞれが全身で感じながら礼拝堂に集いました。これだけの悲しみと不条理の出来事に神の愛をどう見出すことができるのか。この状況で教会は何をすべきなのか。それまでの信仰を揺さぶられながら必死に聖書に聴こうとしたのです。
一人ひとりが経験した被災は実に個別でした。人生が百人百様であるように経験した震災も百人百様。震災は「平等」ではなく、お互いの被災状況を比べたら分断しかありません。そのような中、「聖書に聴き続ける」という一点で教会の交わりは建てられ続けた。それが実感です。

ヨハネ福音書五章に、三十八年間重い病に苦しんできた男と主イエスとの出会いが描かれています。主イエスの「良くなりたいか?」という問いに対して素直に答えられない男。その心に長い間折り重なってきた苦い思いを吐き出す彼の言葉をじっと聴きながら、主イエスは「起き上がりなさい」と語りかけます。それは「いつまでもくよくよせずに前を向いていこう」でも、「君には隠れた力がある、やろうと思えばできるはずだ」でもない。「わたしがここにいる。重い病を負い、たくさん悲しみを経験してきた君の傍らにわたしが共にいる。だから…」という意味が込められた「起き上がりなさい」。そのように、私たち一人ひとりがその人生に固有に抱えている病、痛み、悲しみ、憤りをすべて受けつくして共に歩まれるインマヌエルの神。それがイエス・キリストです。一人ひとりがこの方の言葉に聴き続けるところに教会は建てられていくのです。