「しかし、無くてならぬものは多くはない、いや、一つだけである」(口語訳ルカ10・42)。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4・4)。
人間にとって「無くてならぬもの、一つ」は何でしょうか。「他のものはあと回しにしても、これだけは大切に選び取るべきもの」。もし親が子に伝えるなら、わたしは何を伝えるでしょうか。日常を振り返ると「あれもこれも大切」と欲深くなって手放せず、結果として一番大切なものを大切にできない自分を示されます。「無くてならぬもの」の順番をはっきり知ること、二番目以降のものを手放す勇気。そこに心の豊かさがかかっているのです。
イエス・キリストは、その生涯を通して「無くてならぬもの、一つ」をはっきりと示されました。家畜小屋に生まれ、差別を受けていた人々の友となったゆえに、最後は十字架で自らの命を奪われてゆく。損ばかりの生涯。イエスほどの才能があれば、もっと賢く立ち回って富も名声も手に入れ、人々の間で「王」になれたであろうに。しかし、イエスは人間の賢さ、悪魔がささやく悪知恵にくみすることなく、神が示される愚かさを選び取っていかれました。十字架の愚かさに示された神の愛。人間の罪を裁きつつ赦し、復活の命に生かす神の愛。わたしが目に見える結果だけを求める時には、その生涯の意味が見えません。けれど、見えないものに目を注ぐとき、損ばかりの、愚かさを引き受けた生涯に輝く「無くてならぬもの、一つ」が見えてきます。
「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」(Ⅰコリ1・25)