巻頭言「希望の賜り物としての「赦し」 加藤 誠」

 「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい」(ルカ6・35)。

 この主イエスの言葉ほど、実践困難な教えはないと思う。特に今、爆弾により破壊尽くされたウクライナの街の映像を見るたびにそう思わざるを得ない。

 けれども二八年前にルワンダで起こった民族大虐殺を経験したS・ムセクラ牧師はこう証言している(『赦された者として赦す』二〇〇九年)。

「百日間の大虐殺によりわたしの同胞は絶望し、見捨てられ、落胆し、死を経験しました。すべてを変えてしまった暴力を生き延びた人々には復活が必要でした。イエス・キリストから受け取った新しいいのちにおける赦しを実践するほかに、私たちには未来の希望はなかったのです。」

「わたしがまだ罪の中にいたとき、キリストはわたしのために死なれました。キリストはわたしが赦されるために死なれたのです(ローマ5・8)。赦しとはわたしが受け取った贈り物であり、わたしが無条件で与えるべき贈り物なのです。赦された罪人として、わたしは赦すように招かれています。」

「神から与えられる赦しと、罪の束縛からの贖いは、永遠の裁きから私たちを救うだけでなく、今ここにおける新しい命への招きなのだと理解しました。そして赦しを通して、加害者と被害者の間に新しい希望と新しい未来の可能性が生まれることを学んだのです。」

 ムセクラ牧師の証言によるなら、敵意と憎しみと暴力に覆われてすっかり行き詰まっている世界において、「敵を愛し赦す道」は、主イエスがご自身の生涯をかけて与えてくださった贈り物の道であり、私たちが死から希望に向かって歩みだすための新しい命の道なのです。今日の世界に響く、主イエスの希望の言葉を今朝も聖書から聴いていきましょう。