行って、あなたも同じように   加藤 誠

「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10・37)。

主イエスが律法の専門家に語ったこの言葉は、多くの場合「傷ついて道に倒れている人を、あなたの隣人として大切にしなさい」と理解されます。それは間違ってはいません。けれども、「隣人を愛しなさい」という言葉の前に、「あなたに注がれている神の愛を心に刻みながら」という言葉を補うことが肝要です。人間は「~しなさい」と「正しい答え」を知ってもそのまま実行しきれないし、時に逃げてしまう「弱さ(罪)」を抱えているからです。その罪を見つめ格闘する時、はじめてキリストの福音の意味が見えてきます。

カトリック修道士の小崎登明さんは、17歳の時、長崎で原爆を体験しますが、地獄のような混乱の中、傷ついた女学生を途中で置き去りにし逃げてしまった自分を見つめる中で、イエス・キリストを真剣に求道し始めます。

「私の原爆体験、それは、自分が助かるためには、逃げたことであった。自分がかわいい。自分を優先させ、他人は後回しだ。タンカで運んでいた女学生を、置き去りにして逃げた。逃げるということは、どういうことか。人生でも、しばしば逃げる。困難が来たら、都合が悪くなったら、臆面もなく逃げる。逃げない人になるためには、どうしたらいいか。心の問題が起こってくる。平和、平和と、我々は叫ぶ。それも必要だろう。しかし、真の平和の根源は、私の心の中にあった。人の痛みがわかる心を持つこと。これが平和の原点だ。置き去りにされた人々の痛み、女学生の痛み、隣人の痛みを真にわかるならば、人類がほんとうに理解しうるならば、戦争は起こらないであろう」(『十七歳の夏』小崎登明)。わたしたちを砕き、生かす神の言葉に今朝も聴いていきましょう。