この平和にあずからせるために   加藤 誠

―教会のミッション(使命と働き)④平和づくり―

 

昨秋、ソウルで開かれた世界教会協議会(WCC)で、ミカエル・ラプスレイという聖公会司祭が閉会説教に立ちました。ニュージーランド出身で南アフリカに派遣され、人種隔離政策に苦しむ黒人たちに寄り添い歩んだ方です。ネルソン・マンデラが釈放された1990年、ラプスレイ司祭は送りつけられた手紙爆弾で両手首と片眼を失い、耳の鼓膜も傷つきました。

「神は『手紙爆弾だから開けるな』とは教えてくれませんでした。しかし、『世の終わりまで、わたしはいつもあなたがたと共にいる』という復活の主の約束がわたしを支え続けました。みなさんの祈りと愛は、爆弾によって傷ついたわたしが神の愛に贖われるのを助け、死からいのちへ、邪悪から善へと救い出し、被害者として歩む人生を勝利者として生きる人生に導いてくれました。……残りの人生を障がいと共に生きる覚悟を迫られた時、わたしは、片足がもう片方より短いキリストを描いた一枚の聖画を思い出しました。人間としての尊厳を損ない、人々から軽蔑され捨てられる救い主(イザヤ53章)を描いた聖画です。このキリストがわたしを励まし、他の人々の癒しの旅路に寄り添いながら生きる道を示してくれたのです。」

 

「この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです」(コロサイ3・16)。「平和づくり」が目指すのは直接的社会変革ではありません。憎しみの連鎖から抜け出せないわたしが、主イエスの十字架の愛に触れてつくり変えられ、「キリストの平和がわたしを支配し、隣人との間を支配しますように」(同3・15)と祈る者に変えられることなのです。