巻頭言「「ひとり」のひととき  加藤 誠 」

 主イエスはしばしば祈るために、「ひとり」で人里離れたところや山に身を隠された。祈りはどこでもできるのだからわざわざ山に登らなくても…と思うが、主イエスは「ひとりで祈る」ことの必要を切実に感じておられた。「祈る時には奥まった自分の部屋で、隠れたところにおられるあなたの父に祈れ」(マタイ6・6)とも教えておられる。

 ナチスと信仰的に闘ったボンヘッファー牧師は「一日の始まりと終わりは、自分の内側から出てくる言葉には沈黙させて、私たちの全生活が属する方の言葉に聴くのがよい」、「神の前にひとりになることを知らない者は、交わりの中に入ることを用心すべきであり、同時に交わりに生かされている自分を知らない者は、ひとりでいることを用心しなさい」と語っている。

私たちが人と人との交わりを「共に生きる」ということと、神の前に「ひとり」になることは、車の両輪のように切っても切り離せないということだろう。

新生讃美歌に『ひとりのひととき』(四九九番)という賛美歌がある。

 一 ひとりのひととき 静かです 見えないお方が 共に居て

   聖書(みふみ)をとおして 語られる み言(ことば)心に 響きます

 三 ひとりのひととき 豊かです 信じるお方の 生命(いのち)受け

世に勝つ力を 秘むように 春陽(はるひ)にタンポポ咲いてます

 作詞者の島田富士子さんは会社の昼休みに近くの教会の庭で許可を得て過ごし、花々を見ながらひとり静かに黙想する時間を大切にされた。この詩を読んでいると、彼女を「静かに、豊かに」支えた命の言の力が迫ってくる。