ひらく、ひらかれる 加藤 誠

「子どもたちが『助けて』と言えないのは、親である大人たちが『助けて』と言えていないからなんですね。確かにそうだなぁと思いました」。

先週の第一礼拝後、こんな感想を伝えにきたお父さんに講師の奥田牧師がこう応えていました。

「『助けて』のインフレを起こしたいと思ってるんですよ」。

 

「『助けて』のインフレ」とは、言い得て妙だなと思いました。みんなが自分ひとりで重荷を抱え込むのではなく、しんどい時には「しんどい」と言えて、「助けて」とSOSを出せる。お互い、もっともっと迷惑をかけあっていい。迷惑をかけ、助け合う存在として人間は生まれてきたのだから、『助けて』を自分のまわりにどんどん増やしていこう…。

この奥田牧師のメッセージに、肩の荷を何となく軽くさせられたのは、わたしだけではなかったと思います。

 

今回の集会テーマは「ひらく、ひらかれる」でした。

わたしは何を「ひらく」ことができたでしょうか。そして、わたしはどんなふうに、何に対して「ひらかれた」のでしょうか。

「ひらく」とは、自分をさらしていくこと。誰かに支えてもらい、何よりも神さまに支えてもらわないと生きられない自分をさらしていくこと。また「ひらかれる」とは、自分に差し伸べられている手や思いを受けていくこと。何よりもわたしに向けて注がれている神さまの愛と赦しを受けていくことではないか。そう思わせられています。