嗣 業 加藤 誠 

「嗣業(しぎょう)」という聖書独特の言葉があります。

「嗣業」とは、何よりもイスラエルの民が「神から賜った土地」を指します。彼らが荒野の旅を経て約束の地(カナン)にたどり着いた時、十二部族でくじ引きをして土地を分けあったのですが、割り当てられた土地は自分の都合で勝手に売り買いすることを禁じられ、よく管理して次の世代に手渡していくよう命じられた土地でした。人びとは自分に託された「嗣業」に「わたしの思いを超えた神の深い恩寵が込められている」と信仰をもって受けたのです。

また旧約聖書では、人びとが主なる神のことを「主こそ、わたしの嗣業です」と告白すると同時に「わたしたちはあなたの嗣業の民です」と告白しています。この場合、「嗣業」は「喜び」という言葉に言い換えるとぴったりします。「私たちにとって神は何にも代えがたい喜びであり、神もこんな小さな私たちのことを喜んで民としてくださっている」と人びとは告白したのです。

ですから、イスラエルの民は「くじ引き」で与えられた「嗣業」(土地)を喜び、大切に耕し、次の世代の子どもたちに「この土地で神と共に生きる喜び」を手渡していこうと心を注いだのでした。

 

さて今日の私たちに託された「嗣業」とは何でしょうか。その「嗣業」を大切にできているでしょうか。自分が稼いで手にしたものは「何でも我がもの」であり、好き勝手に使っていいという考えが当たり前になっている私たちに聖書は問います。ちょっと待て。それは神が「嗣業」という「恩寵」と「喜び」としてあなたに託してくださったものではないかと。それをあなたは正しく管理し、次の世代に大切に手渡そうと心砕いているか、と。