安らぎの場所 加藤 誠

移住先のモアブの地で愛する夫と二人の息子を次々に奪われ、深い失意のうちに無一文で帰郷したナオミは、モアブ人の嫁ルツと共に「生きるすべ」を懸命に探します。「わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ちつき先(安らぎの場所)を探してきました」(ルツ記3・1)。

しかし「モアブ人を主の会衆に加えてはならない」(申命記23・3)という律法のゆえに、人びとの間にはモアブ人への蔑視と差別が根強く、ルツは日々いろいろと心を傷つけられたことだろうと想像します。

が、そのルツが落穂拾いに出かけた畑は「たまたま」(同2・3)義父エリメレクの親族ボアズの畑だったというのですから、神のご計画はほんとうに不思議です。私たち人間が「たまたま」と表現するほかない出来事の中に、神は先回りして事を起こしていかれるのですから。ルツが「たまたま」出かけた畑を通して、彼女たちは神から「安らぎの場所」を与えられていくのです。

 

人は誰もが安心して生きられる「安らぎの場所」を必要としています。先日行われた連盟「七十年史フォーラム」の記念講演で濱野道雄先生(西南神学部)は、これからの教会のビジョンとして「異なるものが、共に生きられる世界」を語られていました。マイノリティ(少数者)が互いにそのまま居られる場所。「大切で必要なひとり」として受け入れられる場所。レッテル貼りされ、抑圧され、差別され、排除されることのない場所。

モアブ人ルツが見出した「安らぎの場所」は、新約聖書のイエス・キリストの誕生につながっていきます。すべての人を「安らぎの場所」に招き入れるために来られた主。その喜びの福音を伝えるために教会は建てられているのです