「あなたは誰ですか?」と問われたら、何と答える用意がありますか。
普通であれば、自分の名前、生まれや家庭環境、趣味や特技、何を勉強して、どんな仕事をしているか…などなど。そうやって自己紹介をする場合が多いことでしょう。
しかし、クリスチャンになるとは、その自己紹介の一番最初に「わたしは神から愛されている子どもです」と答えるようになることです。それ以外のこと、つまり国籍、肌の色、性別、生まれなどといったものは、すべて二次的、三次的なものとして後方に退き、学歴、職歴、肩書きや年収、社会的貢献や業績などはその意味を失います。
「神から愛されている子ども」と言葉にすることは、おとなには何となく気恥ずかしい気がします。しかし、ヨハネ福音書3章16節以下に記されている言葉を読む時、気恥ずかく思う、そういうわたしの曖昧さが厳しく撃たれます。ヨハネ福音書が語る「世」とは、イエスと父なる神に対して激しく反抗して、その命を奪う「世」のこと。その「世」とはまさに「わたし」のことです。しかし、神はその「世」を裁くのではなく救うために、そして神の国の新しい命(永遠の命)に招き入れるために、独り子であるイエスを「世」に与えられました。そして、イエスは「世」の激しい嫌悪と反抗に、その愛と祈りをもって打ち勝っていかれます(16・33)。
ですから、クリスチャンは答えます。「わたしはイエス・キリストを通して、自分が神から愛し抜かれている子どもであることを知りました。わたしが生きる時も死ぬ時も、喜びの時も悲しみの時も、わたしはわたし自身のものではなく、神のもの、神の愛する子であるということを、主イエスはその十字架における神の愛をもって教えてくださったのです」と。