主イエスの復活の出来事から五十日目。毎日一緒に集まって祈らざるを得なほど小さくされた弟子たちの上に聖霊(神の息吹)が注がれると、彼らは新しい希望とビジョンに生きる者に変えられました。それまで部屋の中に閉じこもっていた弟子たちが扉を空け、世界に向けて福音を紹介し始めたのです。
これが二千年前のペンテコステの出来事です。
弟子たちを変えた聖霊の働きとはいったいどういうものなのでしょう。使徒パウロのフィリピの信徒への手紙一章を手掛かりに考えてみたいのです。
第一に、聖霊は「私たちの間で善き業を始めた方への信仰」(6節)に私たちを導きます。弟子たちの信仰は十字架で粉々に砕かれましたが、彼らを再び信仰に立たせたのは彼ら自身の力ではなく、彼らに信仰を与えた神の働きでした。私たちの「信仰の始まり」は私たちの内側にではなく、神の側にあるのです。
第二に、聖霊は「善き業を完成される方の希望」(6節)に私たちを生かします。私たちの信仰は不純で、未熟で、欠けも多く、いつも未完成で中途半端。けれど、それでも大丈夫。なぜなら神の国と神の義を最終的に完成されるのは神だからです。「善き業を完成される方の希望」を知る時、私たちは必要以上のリキミから解放され、いま精一杯を軽やかにささげる歩みに生かされます。
第三に、聖霊は「私たちの愛をますます豊かにし、本当に重要なことを見分ける力」(9節)を私たちに与えてくれます。日々の暮らしの中で、私たちの心は人々が喧伝する言葉にからめとられ、動かされ、「ほんとうに重要なこと」を見失ってはいないでしょうか。そのような私たちを、第一に大切にすべきもの(神の愛)のもとに連れ戻してくれるのが聖霊の働きなのです。