今日のヨハネ福音書二〇章二四~二九節は、復活された主イエスが弟子のトマスと再び出会う場面でした。ここはよくイースターに読まれる箇所かもしれません。しかし、この箇所は、私たちが主を信じるとはどういうことなのか、信仰とは何なのか、ということについても、深く立ち止まらされるところだと思うんです。
では、その信じるということ……。教会で「信じる」という言葉はよく聴きます。けれど、そのとき、私たちは何を信じているのでしょう。意外と、この肝心な部分がふわっと流れていってしまうことがあるような気がするんです。私自身、そういうことがけっこうよくあるように思う。祈っていても、誰に祈っているのか忘れているときがある。
では、私たちが「信じる」というとき、その中身はいったい何なのか。
この教会でバプテスマを受けられた方は、その前に、それぞれ信仰告白をされたと思います。そこに至るまでの経緯は、一人ひとり違います。しかし、そこには一つ、共通していることがあると思うんです。それは、イエス・キリストを主として信じたということ。
二八節には、「わたしの主、わたしの神よ」というトマスの言葉がありました。教会に集うクリスチャンというのは、まさにこの言葉に、アーメンと応える人たちだと言ってもよいのではないか。そういう意味で、このトマスの言葉は、私たち自身の信仰告白とも重なるのではないかと思うんです。
ただ、このトマスという弟子、最初からそう告白したわけではありませんでしたね。今日は、そのことを、もう少しご一緒に見ていきたいと思うんです。