兄エサウをだまして家を逃げ出したヤコブが二十年ぶりに故郷に戻ってきました。かつて一本の杖だけを手にヨルダン川を渡った若者は、多くの息子たちを与えられ、数多くの家畜を飼う者となったのですが、故郷が近づくにつれヤコブの顔は不安と恐れに曇り、青ざめていきます。
彼は神にこう祈っています。「どうか兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです」(31・12)。「父イサクが死んだら、絶対にヤコブを殺してやる!」と叫んだ兄エサウの言葉が、二十年経ってもヤコブの胸に刺さったままで、その復讐を恐れたのでした。
すると眠れぬ夜を独り過ごすヤコブに主なる神が近づき、夜明けまで格闘します(32・25)。主なる神が、不安と恐れに押しつぶされそうなヤコブにがっぷり四つになって相手をしてくれたのでした。
夜を徹した格闘の後、神は「お前の勝ちだ!」と言い「お前はこれからイスラエルと呼ばれる」と告げます。「イスラエル」とは「神(エル)」は「戦う、支配する(サーラー)」の意味。この格闘では「ヤコブが神に勝った」はずですが、「神が戦い、神が支配する」という名をヤコブはもらったのでした。
ということは、この場面も神を主語にして読むべきではないでしょうか。つまり「神が」ヤコブの不安と恐れに一晩中付き添い、「神が」ヤコブに勝ちを譲ってあげて彼を励まされたのだということ。「ヤコブが」神と格闘した夜は、「神が」ヤコブに付き添い励ましてくだった夜だったのです。
私たちが自分の力ではどうしようもない不安と恐れに襲われて眠れない夜を過ごすとき、そこに寄り添い、励まし、一緒に戦ってくださる神がおられることを、今朝、聖書から受けていきたいのです。