1931年伝道開始、日本バプテスト連盟に加盟するプロテスタント教会です

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あけぼの幼稚園
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巻頭言「主の山に備えあり ~創世記⑤~」加藤 誠

 この八月、三週にわたり合同分級「平和を祈る」で、八一年前の戦争を体験された三名の教会員の貴重な証言をいただきました。どの方のお話も、その方自身の体を通った「生きた証言」の重みがあり、「聞いただけ」で終わらせてはいけない、「聞いた責任」を問われる思いでした。小学生や少年少女も皆が身じろぎせず聞き入る姿に、老若男女、さまざまな年代が集う教会の交わりを感謝しました。

 「戦後八十一年」と言いますが、すでに「新たな戦前」が始まっている。ちょっとしたきっかけで、あっという間に国中が「戦時態勢に組み込まれて、自由にモノが言えなくなる」危険を感じています。歴史は繰り返すのです。もちろん繰り返してはいけないのですが、何千年も前からの人間の愚かな歩みを見つめてきた聖書の証言と忠告を、繰り返し聞いていきたいと思います。

 

 さて創世記を読んでいます。最初の男と女アダムとエバも、その息子たちカインとアベルも、ノアの時代の人々も、どうしてこんなに自己中心で、愛に貧しく、傲慢で、過ちを繰り返しているのか。情けなくなるわけですが、その中で「信仰の父」と呼ばれたアブラハムの物語です。

 今朝の創世記二二章は、アブラハムが「あなたは、自分一人の独り子である息子(イサク)ですら、わたしにささげることを惜しまなかった」と賞賛されている場面です。神がモリヤの山に、息子イサクに代わる雄羊を用意されていたことから「主の山に備えあり」と言われるようになりました。しかし、ここでのアブラハムの信仰はどういう信仰なのか。「主の山に備えあり」のほんとうの意味はどういうことなのかを、今朝は共に聴いていきたく思います。

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