ある教会員が「新礼拝堂の夢を見ました」と教えてくれました。風邪をひいて高熱でうなされている時に見た夢だそうですが、彼女が教育館(幼稚園舎)から池上通りに向かって立っていると、園庭には小さな子どもからお年寄りまでたくさんの人々であふれていて、みんな新しい礼拝堂の扉が開くのを今か今かと待っているのだそうです。どんな礼拝堂なのか。彼女の左手前方には確かに何かが建っているのだけれど、ぼんやりとしてはっきり見えない。そのような夢だったそうです。なんと楽しい夢でしょうか。
それを聞いたわたしは、先日の運動会を想い出しました。運動会の準備は大変なものがあり、その大変さにどこかで尻込みする思いがないわけではない。けれども、あの運動会で、園児はもちろん小学生や中高生たち、そして大人たちが笑顔いっぱいで校庭を走り回っている姿を目の当たりにする時、他ではなかなか見ることが難しくなった「地域のコミュニティ」がそこに与えられていることを知らされます。神さまは、わたしたち大井教会が理解し、思い描いている以上に「大切な働き」を期待して委ねてくださっているのです。
「あなたがたは神の神殿です」(第一コリント3・16)。神殿は一、二年で完成するものではありません。何十年もかけて建てあげていくものです。また「あなた」ではなく「あなたがた」が「神殿(単数形)」と呼ばれている点が肝要でしょう。「ひとり」の礼拝ではない。日々、キリストを土台として、人々の交わりの中に生きた神の働きを見て賛美をささげる「わたしたち」の礼拝。その日々の「わたしたち」の賛美の積み重ねが神の建物とされていくのです。その神殿が地域の交わりの中に建てられていくなら、なんとうれしい出来事でしょうか。