あけぼのの子どもたちは聖書から「わたしたちを愛してくださるイエスさま」のお話を素直に受けて、イエスさまへの全面的な信頼をもって祈り始めます。そのまっすぐな祈りにいつもおとなの私たちが教えられるのです。
数年前のこと。幼稚園で飼っている小鳥が死んだとき。小さな鳥を悲しい顔でのぞきこんだ子どもたち。一人の子が言いました。「ことりさんのために祈ろうよ!」「うん!祈ろう!」。幼稚園の玄関の真ん中で、数名の子がまるくなり祈祷会が始まりました。あわてて保育者も手を組んで加わります。「神さま、このことりさんが天国で楽しく過ごせますように。手も足もいたくなくて、いっぱいに遊べますように守ってください。アーメン。」
また子どもたちは祈ることでお互いにつながることを肌で知っています。
「神さま、今日はみんなでお弁当うれしいです。神さまは生まれる前からみんなと一緒にいて守ってくれています。年長さんはもうすぐ卒業です。寂しいけれど、お祈りでつながって、教会でつながって、ずっとみんなが元気でいられるようにしてください。アーメン。」
そんな子どもたちに対し、私たちおとなはどうも素直に祈れません。「神さま」「主よ」と呼ぶ、その一声が口から出てきません。信頼しきれていないから? 祈ることが恥ずかしいから? 神の前に小さくなれないから? 人目を気にするように、神の前でも格好をつけようとするから?
小さくなることを恥ずかしく思い、「できる自分、やれる自分」でいたいわたしがいる。けれども、そういうわたしが神の前に小さくされて「主の名を呼び、主を尋ね求める」、そのときを神は待ち続けておられます。