パウロの手紙を読むと、彼は情熱あふれる雄弁家で、語りたいことが次から次へとあふれ出てくる人だったのだなぁと思うのです。パウロはユダヤの最高法院で語り、ローマ総督フェリクスとフェストゥスの前で語り、さらにユダヤの領主アグリッパ王の前で語りました。彼はあらゆる権力者たちの前で「主イエスの福音」を語ったのです。これはローマ市民権を持ち、ギリシャ語とヘブライ語の両方に堪能だったパウロだからできた働きだと言えるでしょう。
パウロが権力者たちを前に雄弁に語る姿は、主イエスとは実に対照的なものを感じますが、主イエスもパウロも、神から託された使命に自分のすべてをささげつくした点では同じだったのだと思うのです。
パウロは「主イエスは復活し、ユダヤ人にも異邦人にも光を語り告げる…」(23節)と紹介します。パウロにとって主イエスはかつて生きていたが死んでしまった方ではなく、今生きて働いておられる方でした。パウロが「主イエスは復活し…」という時、過去のある一点で「復活が起こった」という「過去形」ではなく、「主イエスは復活し、今も働いておられる」という「進行形」の出来事でした。パウロにとって「生きる」とは「主イエスと共に生きる」ことであり、パウロの「伝道の旅」は「主イエスと一緒に伝道する旅」であり、すべての「迫害」は「主イエスと一緒に受ける苦難」だったのです。
その主イエスが具体的にどのような働かれたかについて、パウロは簡潔に述べています(18節)。主イエスは人びとの「心の目を開ける」。主イエスは「闇から光に、サタンの支配から神のもとに立ち帰らせる」。そして「罪の赦しと恵みの分け前」に導く。今日も私たちの間に生きて働き、「光を語り告げる」イエスの働きを、私たちもまた自分の証しとしていきたいのです。