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あけぼの幼稚園
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巻頭言「責められることのない良心」加藤 誠

 使徒言行録二四章は、パウロがローマ総督フェリクスの裁判を受ける場面です。裁判ではふつう被告の罪が問われ裁かれますが、パウロの裁判を見ていると裁かれているのは実は権力者たちのように見えてきます。

 パウロが「神にも人にも責められることのない良心に努めてきた」と堂々語っているのに対して、大祭司や総督たちは「わたしもそうだ!」と胸を張ることができません。神や人の前に明らかにできないことを抱えていたからでしょう。例えばフェリクスはパウロに関心を寄せますが、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと「恐ろしく」なり、パウロを遠ざけたと書かれています。フェリクスにとってパウロの言葉は、自分を裁く神の言葉として聞こえたのでしょうか。権力者たちは人々を前に偉そうに立てても、神の前に顔をあげて立つことはできなかったのです。

 

 パウロが語る「責められることのない良心」とはどういうものでしょうか。例えば第一ペトロはこう語っています。「洗礼(バプテスマ)は肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです」(3・21)。

 私たちはバプテスマを受けてクリスチャンになることで、罪と無縁になるわけではありません。肉体を生きる以上、「罪なき者、汚れなき者」にはなりきれません。しかし「罪と汚れを持つ者」をそれでも赦される神の愛につなげられて神に正しい良心を願い求めていく。それがキリストに従う道です。そして、キリストは求める者に良心を示し励まし、良心を生きる力を与えてくださる。パウロは、私たちの願い求めに応じて良心を与えてくださる愛なる神を知っていたから、胸を張ることができたのでした。

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