神に望みをおく信仰    加藤 誠

今朝は「ルツ記の信仰と礼拝」に聴きます。

「ルツ記」はヘブライ文学の「珠玉」と評される美しい物語ですが、その中心を貫くのは、夫と二人の息子を相次いで失い、自分の人生には虚しさしか残っていないと嘆き涙するナオミを、賛美する者に変えていく神の慈しみです。

ナオミは自分の家督を「買い戻す/贖う者」(ボアズ)を通して、「魂を生き返らせる者」(孫のオベド)を与えられていきますが、その「贖い」がモアブの女ルツを通して実現していく点が非常に重要です。ナオミは夫と二人の息子を失うことになった「モアブ移住」を深く後悔していました。「あの移住の決断がわたしの人生を狂わせた。神の御旨ではなかったのだ。だから、神は私たち家族に厳しい罰を与えられたのだ」(ルツ記1・20以下)と。しかし、神はそのモアブでナオミが出会ったルツを通して、くすしき御業をあらわされたのです。しかも、ルツを通して与えられた孫オベド(原意は「礼拝」)はやがてダビデ王やイエス・キリストにつながり、そのキリストはわたしたち人間を「贖い、魂を生き返らせる者」として誕生されるのです。なんと遠大で不思議な神の働きでしょうか。わたしたちが出会う悲しみや苦悩を捨て置かれることなく、必ずそこに慈しみをあらわしたもう神に望みをおく信仰の大切さを示されます。

 

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40・31)。わたしたちを大空に羽ばたかせるのは若さの力ではなく、神の恵みの風であり、神に望みをおく信仰です。今日は敬老感謝礼拝。年齢的な老いを重ねたとしても、翼を与え、恵みの風をもって持ち運びたもう神に望みをおいて、共に賛美したいのです。