パウロはかつて「イスラエルファースト」(イスラエル第一主義)の信仰に生きていました。「神に選ばれ、神の法を忠実に守るイスラエルが第一。異教徒はイスラエルに従うべし」という信仰です。しかし、その信仰は異教徒との間に「隔ての壁」をつくり、対立と憎悪を生み出していました。
そのパウロが十字架のキリストと出会い、「イスラエルファースト」の信仰をひっくり返され「神の愛ファースト」の信仰に導かれます。「神がイエス・キリストにおいて私たちを愛されたように、私たちも互いに愛し合うことを第一にする」信仰であり、異教徒たちに与えられる「信仰」を尊び、互いの間にある「隔ての壁」を崩していく道です。
「イスラエルファースト」が「階段を昇っていく道(上昇と栄光志向)」であるのに対し、「神の愛ファースト」の信仰は神の愛の前に自分を低くされ、「階段を降りていく道」と言えるでしょう。
「今夜、一つの文明が滅びるだろう」と豪語して軍事侵攻を正当化する某大統領をローマ教皇が戒めると、それに猛反発した某大統領は自らをキリストに似せたAI画像をSNSに投稿しました。自分こそキリストの代理者だということなのでしょうか。権力者がここまで自分を神聖化し絶対化していく道を十字架の主はどのように見ておられるのでしょう。
「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と語りかける主の深い愛に砕かれ地に伏したパウロはその後、その主の愛に応える生き方に導かれました。その主の愛は今日も某大統領を含め私たちに分け隔てなく注がれています。