主イエスは「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」と言われました(ヨハネ14・14)。今年の夏期学校のテーマ聖句です。
内村鑑三はこの主イエスの言葉を受けつつ、「モーセも、パウロも、イエスご自身も祈りが聴かれなかったのである。よって、祈祷の聴かれないのもまた決して悪いことではない。然り、祈祷の聴かれないことがその真に聴かれたことなのだ」と語り、次のように続けます。
「神が人に与えたもう最大の恩賜は神ご自身である。神を知ることが永遠の命であり、たとえ宇宙とその内にある万物を得たとしても、もし神をわがものにできないなら、我らは真に貧しき者である。神はつねにこの最大の恩賜を子に与えんとするが、その恩賜は苦痛と共に与えられる。信仰者にとって最大の苦痛は『聴かれざる祈祷』であるが、その苦痛に耐えうる者に、神はご自身なる最大の恩賜をくだしたもう。…神の愛のこの秘訣を知る時、我らは聴かれざる祈りが常にあることを知って感謝するのである。」(『聴かれざる祈禱』)
「主イエスの御名で祈る」とはどういうことでしょう。わたしたちに祈りを教えてくださった主イエスに一緒に祈っていただくことです。何を願ってもいい、率直な思いを神にぶつけていい。ただ、主イエスにも祈りを聴いてもらい、どう祈ったらいいかを教えてもらいながら一緒に祈っていただく。「祈りがなかなか聴かれない!」と悲しくなる時があるけれど、聴かれない祈りを通してこそ、神はわたしたちに一番大切なものを与えてくださる…。この神の愛の秘訣を知る時、「絶えず祈りなさい」というみ言葉が明るく響きだすのです。