5月15日のペンテコステ礼拝に向けて、5月1日・8日の第二礼拝は「聖霊の賜物」というテーマで説教をとペンテコステ委員会から依頼を受けました。「聖霊って、みんなよく分からないので…」とのこと。
しかし結論を先に述べると、人間の理性では「よく分からず、とらえきれず、説明しきれない」神の働きを聖書の人々は「聖霊」と呼んだのであって、「聖霊がよく分かる!」という人がいたら、実はおかしなことなのです。どこまでいっても「よく分からない不思議な神の働き」。それが「聖霊」です。
聖書は、「聖霊」を妖精や幽霊のような「存在」としてではなく「働き」としてとらえます。人間の理性を超えた不思議な働き。神そのものが霊的な働きであって、風のように自由自在に働き、人間はそれがどこから来てどこに行くのかをとらえられません。おとめマリアに赤ん坊を宿らせたのはこの神の霊(聖霊)の働きであり、イエスがヨハネからバプテスマを受けた時、「聖霊が天から鳩のようにくだった」というのは、イエスが神の霊、神の思いに満たされて活動を始められたことを、そう表現するほかなかったのでしょう。
「神は、わたしたちの救い主イエスを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました」(テトス3・6)。
聖霊は主イエスを通してわたしたちに注がれます。ヨハネ福音書20章では十字架の釘跡が生々しい復活のイエスが弟子たちに息を吹きかけて聖霊を注ぎ、世界に派遣します。聖霊は、わたしたちの心の目を開き(エフェソ1・18)、「イエスは主なり」との告白に導きます(第一コリント12・3)。わたしたちは聖霊の助けなしには何一つすることができない。これが聖書の告白です。