今週三月五日からの受難節(レント)、今年はマルコ福音書を通して十字架の主の足跡を辿っていきましょう。
今朝は、主イエスがペトロたち三人の弟子を連れて山に登られた「山上の変貌」の場面です(マルコ九章)が、この時ペトロは相当に落ち込んでいたと思われます。というのも彼が仲間たちの前で主イエスから「サタンよ、退け!」と厳しく叱責されてまだ「六日の後」(二節)のことだったからです。
「一番弟子」としてのプライドをズタズタにされてしまったペトロ、「人間をとる漁師にしようという言葉を信じて従って来たのに、話が違うじゃないか!」と主イエスのことがまったく分からなくなってしまったペトロ。抜け殻のようになり、信仰を失いかけたペトロの姿が浮かびます。
そんなペトロの前で、主イエスの衣が真っ白に輝き始め、主イエスがモーセとエリヤと語り始めます。ルカ福音書はこの時彼らが「イエスがエルサレムで遂げようとしている最期について話していた」(ルカ9・31)と記していますが、この「最期」は「エクソダス」、新しい世界への「脱出・出口」という言葉です。十字架の苦難と悲しみは新しい世界への「脱出・出口」となる。世界にあふれる人間の罪に落胆し絶望しかかっている私たちを神の国の希望に導くために来られた主イエスを、神はペトロたちに力強く示されたのでした。
私たちは自らの信仰を顧みる時、ペトロ以上にその心に「サタン」を抱えている者ではないか。その私たちは神が「これはわたしの愛する子、これに聞け」と言われる方にほんとうに「聞く」ことができているでしょうか。
今年の受難節、聖書が「これに聞け」と指し示す方に心して聞きながら歩んでいきたいと願います。