巻頭言「この岩の上に」加藤 誠

 先週は、主イエスが弟子たち(教会)に求められた第一のこととして「信じなさい」、つまり「主イエスに託された神の言葉を信じなさい」という招きを聖書から聴きました。

 今朝はマタイ一六章の主イエスとシモン・ペトロの対話から「建てられよ(この岩の上に)」との招きを聴いていきたいと思います。

 ここで主イエスはペトロの信仰告白を受けて「この岩の上にわたしの教会を建てる」(18節)と言われましたが、この「岩」とは何を指しているのでしょうか。

 この岩は「ペトロ個人」を指しているという理解があります。カトリック教会はペトロ個人に「教会の鍵=権威」が授けられたと理解し、歴代のローマ法王は「ペトロの教会の鍵」を引き継ぐ正統な後継者と考えられてきました。

 あるいは、この岩はペトロの「信仰告白」を指しているという理解があります。ただペトロの告白はどこまで主イエスを正しく理解した告白だったのでしょうか。この直後にペトロは主イエスから「サタン、引き下がれ」と厳しく叱責されています。人間の信仰告白は主イエスを救い主と告白できたとしても、その理解が的外れな場合も少なくないのです。

 では、「この岩の上に」の「岩」とは何を指しているのか。

 ヒントは「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(17節)にあるように思います。つまり、ペトロに信仰告白を与えたもう「天の父の慈しみ、主の愛」です。何度ペトロがつまずいて失敗しても、嵐の湖の中に沈んでも、主イエスを知らないと言っても、そのペトロを繰り返し建て直す「主の愛」。この「岩なる主の愛」の上に「繰り返し建てられなさい」と教会は招かれているのです。