人と人の交わりの礎(いしずえ)~頌栄~   加藤 誠

先週九日、澄みわたった秋晴れのもと、「教会と幼稚園の運動会」が行われました。教会付属幼稚園は数多くありますが、運動会に「教会と…」と銘打って行われる運動会は珍しいかもしれません。今年も八十名を超える教会学校小学科の生徒たち、嬰児科・幼稚科・小学科の教師・中高生の助手、さらには競技進行や会場の裏方の奉仕者など、約百五十名が幼稚園と心を合わせて運動会に参加し、園児のご家族を含めて千人近い人々と楽しい一日を共にしました。

「心の窓を大きくあけて…」と大きな声で賛美歌を歌い、幼い身体を精一杯に動かす園児たち、小学科の生徒たちの迫力あるぶつかり合い、子どもたち以上に大張り切りの父母たちの熱気、世代を超えてバトンをつなぐリレーへの大声援など、「村の運動会」ならぬ「地域のコミュニティ」がそこに生まれていました。ただ覚えたいのは、その「コミュニティ」は楽しいイベントのために生まれた交わりではなく、毎週日曜日に礼拝を一緒に捧げることを通し育まれてきた交わりであることです。神様の前に心静かにささげる礼拝が「人と人との交わり」を深く豊かなものに導いてくれるのです。

その毎週の礼拝では最後に「頌栄」と呼ばれる賛美をささげます。「頌栄」は神をほめたたえる簡潔な歌詞による讃美歌です。そして「主の祈り」も「頌栄」で終わります。「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」。「神さま、あなたこそ私たちが従うべき方であり、私たちを根底から支える方であり、すべての栄光を帰す方です」という信仰の告白をもって祈りを閉じるのです。

今朝は、暗い牢獄の中で一日の終わりに賛美をささげたパウロたちの姿を通して、「人と人の交わりの礎」としての「頌栄」の意味を考えたいと思います。