シリアのアンティオキア教会は実に面白い教会でした。使徒13章で紹介されている主要なリーダーの顔ぶれは多様です。バルナバはユダヤ人ではあるもののキプロス島出身、シメオンはニゲルと呼ばれていたとありますが、ニゲルはラテン語で黒を意味しますから、肌の色が黒かったのかもしれません。ルキオはキレネ人、つまり北アフリカの現リビア出身。マナエンは使徒12章でヤコブを斬首にしたヘロデ王の親戚。つまり教会の迫害者の身内です。そして、五人目のサウロは現トルコのタルソス出身のユダヤ人で、かつては主イエスの弟子たちを徹底して迫害した人物です。
ユダヤ育ちのユダヤ人ばかりが揃っていたエルサレム教会と比べて、なんと“雑然”とした集団だったことでしょうか。エルサレム教会であれば「AはA」ですんなり通った話が、「俺が理解するAはそうではない!」「いや、俺が育った国ではそんな意味は通じない!」と、一つの言葉を巡っても行き違いや論争が激しく起こる、面倒な教会だったのではと想像します。ある人が「エルサレム教会を白い布にたとえると、アンティオキア教会は端切れの集まり、パッチワークだ」と言いましたが、その通りだと思います。
白い布は、ちょっとしたシミや汚れがついても気になります。が、端切れの集まりは、多少の汚れやシミは何のその。それも個性、新しい模様として受容されたことでしょう。あまりの多様さに、なかなか「一つ」にはなれなかったかもしれませんが、だからこそ「この集まりの基盤はイエス・キリスト以外にない!」という信仰と、「新しい出会いに向かうエネルギー!」に満ちていたのではないかと想像するのです。このアンティオキア教会から、キリスト教の歴史を大きく変える世界宣教が始まっていったのでした。