先日、「道徳の必修化―教会が知っておくべきこと―」という教会セミナーが玉川聖学院主催で開かれました。2018年度から義務教育で「道徳」が「必修教科」になります。「教科」になるとは、通知表に国語や数学と並んで道徳の欄が作られ「評価」されることを意味します。さすがに「五段階評価」はしないものの、教師によるコメントが記されるとのこと。いったいどのような基準で教師たちは評価をするのか、非常に心配です。
「道徳」とは「社会の中でどう生きるのか」を学ぶことでしょう。しかし、「どう生きるのか」の答えは幾通りもあり、決して「一つの正解」だけではないはずです。「自分はこう考える」という一人ひとりの独自性と多様性が確保されて対論が起こり、それぞれが答えを求めて考え続けていく。そのような「道徳」の授業ならば意味があるでしょうが、国の検定に合格した教科書によって教師が「一つの正解」を押し付けていく授業になるなら、まさに戦前の「修身」の復活です。かつて「修身」では、国定教科書を使わずに独自教材を使用した教師は処分を受けました。国が示す価値観に「従順」な教師のもとで「従順」な生徒が小学校段階から作られていく時、この国はどうなっていくのでしょう。
一方で、玉川聖学院の水口洋先生は「教会が語る福音は、道徳を超える真理を示すことができているだろうか」と問いかけておられました。もし「聖書」を「修身」のように教えているなら、つまり「こういう人になりましょう」と「一つの正解」に「従順」な姿を求めるなら、福音のほんとうの豊かさを教えていることにならない…と。さて、大井教会の教会学校は「聖書」をどう分かち合うのか、新年度を前にぜひ各科でしっかり話し合いたいものです。