聖霊の証印~スチュワードシップの学び「伝える」~   加藤 誠

主イエスの弟子たちが「心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒1・14)のは、復活の主イエスが召天した直後のことでした。

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復活の主イエスが見える形で一緒にいてくれるなら、目の前に立ちはだかる迫害者たちを恐れる必要もない。水戸黄門の「葵の御門」のように、復活の主イエスが敵対者たちをひれ伏させてくれれば怖い者がないからです。ところが、復活の主イエスがいないなら、自分たちは「ただの無学な普通の人」(4・13)に過ぎない。神の国のために、いったい何することができるというのか…と途方に暮れた彼らは、一つの部屋に集まって祈り始めたのです。
しかし、わたしは、弟子たちが自信満々で大いに意気込んでいる姿ではなく、自らの力では一歩も前に進めない現実に小さくさせられ、恐れと不安の中で祈るために集まっている姿にこそ、「教会」の原点が描かれていると思います。

「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊の証印を押されたのです」(エフェソ1・13)。小さくされた者たちにこそ聖霊が注がれ、聖霊の証印を押されて世界に遣わされていったペンテコステの出来事に、今朝は聴いていきましょう。