笑顔も涙も聖書から   加藤 誠

先週29日の午後、「教会のいまと将来を語り合う集い」の第一回が開かれ、四つのテーブルごとに熱気を帯びた話し合いとなりました。大井教会の規模と多岐にわたる活動を考える時、その話し合いは大変なエネルギーを要します。自らの意見を主張するよりも、それぞれが聴き上手になる。「わたし」の思いではなく、「主イエス」が大井教会に託されている期待を一緒に聴き取ろうとしながら、お互いが大切と感じている共通項を捜しだしていく。まさに「聖霊」の導きを祈りつつ、やわらかな心で話し合う集いに高めていきたいのです。

「どのような教会になりたいですか?」という設問への答えをじっくり読んでいると、書いた人の教会への期待、希望、願いが伝わってきます。その中で「本気で聖書からイエス・キリストの心を読み取る教会。そのことにより『出て行く教会』―閉じこもらずキリストの手足として」、「神さまからいただいた使命を一人ひとりが懸命に考え、行動実行(自分の置かれた場所で懸命に生きる)」に目が留まりました。人の集まりである教会が何かをなしうるとしたら、その力の源泉は聖書以外にありません。「笑顔あふれる教会でありたい」という時、それは「わたしが笑顔あふれている」ということでしょう。その笑顔はどこから生まれるのか。聖書による養い以外にないはずです。同時に「涙を流せる教会でありたい」とも言いたい。ただし、その場合の涙は聖書からの慰めと安心において流される涙のことです。笑顔も涙も聖書から。一人ひとりが真剣に聖書に向かい養いを受けていくところに、教会は形づくられていきます。

「わたしはアルファであり、オメガである」、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」(黙示録1・8)。わたしたちの最初と最後に、慈しみをもって立っておられる方に何よりも心を向けていきたいのです。