神の約束と出会う場所   加藤 誠

18歳選挙権が初めて行使される国政選挙。一番気になるのは、主権者である国民の権利が奪われたり、言論や思想信条の自由が束縛されていく方向に疑問を感じない空気が広がりつつあること。四百年前、英国に誕生したバプテストの始まりは、「わたし」が聖書を読み、考え、選び取ることへのこだわりでした。権力者や教職者にお任せにしない。現実生活と信仰をいつも重ねて考えていく姿勢。そのこだわりを、いつも生き生きと持ち続けたいのです。

 

さて、先日の総会で新礼拝堂建築の具体案がはじめて提示され、教会全体のことがらとして共有し考えていく段階にいよいよ入りました。各家庭で、教会学校のクラスで、信徒会や部会で、このことがいつも話題となり、侃々諤々(かんかんがくがく)言葉が交わされ、一人ひとりの祈りの課題とされていくことを祈ります。そのためにも、聖書の時代に生きた人々がどのように「礼拝」を大切にし、その信仰の証しとして「礼拝堂」(祭壇や幕屋などを含む)を整えていったかを、聖書から聴いていきたいと考えました。

今朝は「創世記における礼拝・祭壇」を取り上げます。ヤコブは兄エサウとの争いに敗れて旅に出るのですが、不安いっぱいで迎えた荒れ野の夜、自分に語りかける神の言葉と初めて出会い、その場所をベテル(神の家)と名付けます(創世記28章)。実際、そこで受けた神の約束はヤコブの旅を最初から最後まで支える力となり、20年後に再びベテルに戻ったヤコブは祭壇を整え礼拝をささげたのでした(同35章)。ベテルは、ヤコブの人生が「神と共に歩む旅」となっていくための「礎(いしずえ)」となります。わたしたち一人ひとりもまた、ベテルを必要としているのではないでしょうか。