神の油を絶やすことなく   加藤 誠

マタイ23章から25章には、弟子たちに向けた主イエスの告別の言葉がまとめられています。そこでは「不法がはびこり、多くの人の愛が冷える時代が来ても、慌てたり失望することなく、最後までしっかりイエスから目を離さず歩みなさい」(24・11以下)という励ましと共に、「目を覚ましていなさい!」という言葉が繰り返されています。主イエスの教会が自分たちに託された使命を忘れてしまうことなく、自覚的であるようにということでしょう。

 

「十人のおとめ」のたとえ(25・1以下)もその一つです。当時の婚宴は一週間続いたようですが、初日の夜、まず花婿の家に花婿を迎えに行き、花嫁の家に連れてくる儀式から婚宴が始まります。召使いのおとめたちは花嫁の家の玄関先で今か今かと花婿の到着を待ち、松明(たいまつ)を準備していました。当時の松明は油をしみこませて10分から15分ほどしか明るさを保てなかったため、必ず予備の油を必要としたようですが、花婿の到着が予想よりずっと遅れたため、「花婿はほんとうに来るのか」と、おとめたちの中で花婿への期待が冷めて集中力を失ってしまったのでした。

このたとえ話の花婿とはインマヌエルの主としてわたしたちと一緒に歩んでおられるキリストのことです。しかし、この世界にあまりにも不法がはびこり、人々の愛が冷えていく時代にあって、信仰が弱り、緊張感を失い、その使命を忘れてしまいそうになっている教会(愚かなおとめ)を厳しく戒め励ましているのです。常に祈りにおいて神の油(聖霊)を絶やすことなく、インマヌエルの主としてわたしたちの間に生きておられるキリストを照らし出す使命。その大切な使命を、受難週が始まる主日にしっかり想い起こしたいのです。