生ける希望に向けて   加藤 誠

「神はその豊かな憐みにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通し、われらを生ける希望に向けて新生させた」(第一ペトロ1・3~4私訳)。

「ペトロの手紙」は初代教会への迫害が激しくなり始めた頃に書かれた手紙です。キリスト者であること自体が、さまざまな試練と困難の中に身を置くことを意味していました。苦しみを背負って生きざるをえない人々に、ペトロはイエス・キリストを通して与えられている「生ける希望」を力強く語ります。
「希望」とはどういうものでしょうか。将来に期待する何かを心に抱き、心を明るく照らされることです。たとえ厳しい困難に囲まれていても、その困難の意味を知り、解放と勝利を望み見ることができるなら、人は生きることができます。逆に期待する何ものかを持ちえないとき、人は希望を失い、生きる力を失います。ペトロが語る「生ける希望」は、「朽ちず、汚れず、しぼまない」ものです。岩の間からこんこんと湧き上がる水のように、わたしたちの心を潤し、生きる力を与え続ける希望です。
その希望をどうしたら手に入れられるのか。ペトロは「神は…われらを生ける希望に向けて新生させた」と、神を主語にして語ります。人間の努力ではない。神の憐れみが主語です。神の憐れみがキリストを死者の中から復活させ、わたしたちを新しい命に生まれさせるのです。キリストを十字架に追いやり命を奪う、実に愚かで傲慢な者たちを、神の憐れみが救い出し「生ける希望」に結びつけるのです。その希望は「もうダメだ」と自分を断罪することも、他人を断罪することもさせません。神の憐れみに不可能はないからです。この希望のもとで、神に顔を上げ、隣人に向かう歩みを始めていきたいのです。