三カ月ぶりに「旧約聖書における礼拝」シリーズに戻り、今朝は「列王記における礼拝」に聴きます。
「列王記」はその名の通り、ダビデ王やソロモン王など歴代の王たちを描きながらイスラエル王国の興亡史を描いた物語です。広大な国土を平定して世界的にも豊かな繁栄を誇ったソロモン王でありながら、なぜその息子たちの代に王国が分裂し、四百年後に亡国を招くにいたったのか。「列王記」の記者は、王たちが真の神を礼拝する信仰を堅持したかどうか。真の神を畏れ敬い、神の恵みと正義を実現する政治を行ったかどうかに深い関心を寄せて歴史をつづるのです。それゆえ、経済的豊かさだけを追求して偶像礼拝に走り、真の神の恵みと正義を歪めた王たちは厳しく断罪されています。「列王記」の記者にとって、真の神を畏れ敬う信仰は、神の恵みと正義を実現する信仰だからです。
その「列王記」において、「サレプタの貧しいやもめ」の話は、小さな星のような輝きを放つエピソードです(列王記上十七章)。彼女はまったくの無名の女性です。しかし、歴代の王たちの業績をはるかに越える信仰の女性として、「列王記」の記者はこの話を何としても紹介したいと考えたのでしょう。
「今わたしは分かりました。…あなたの口にある主の言葉は真実です。」(列王記上17・24)。わたしたちが毎週日曜日の決まった時間にささげる「礼拝式」は、真の神礼拝の一部に過ぎません。わたしたち一人ひとりが日常生活のすべてにおいて真の神を畏れ従い、「主の言葉は真実です」と告白していくこと。それは壮麗な神殿を築くこと以上に大切な輝きを持つことなのです。