新しく創造された者   加藤 誠

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(第二コリント5・17)。

使徒パウロは、キリストによって新しく創りかえられた自分をさまざまな場所で語っています。例えば以前のパウロは自分を「ひとかどの者」と考え、病気や障害は恥ずべきことと見なし、ユダヤ民族こそ「選ばれし民」と誇りを持っていました。が、キリストと出会ったパウロは「罪から自由になれない惨めな自分」を知らされ、弱さの中にこそ働く神の力と慰めを体験し、キリストにあってはユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、男も女もない、皆が神の子として愛されている喜びを生きる者とされます。パウロが見る世界と彼の人生は、キリストによって180度変えられたのでした。

 

「神はキリストを通してわたしたちをご自分と和解させられた」(5・18)。

パウロは、自分に起こった「キリスト事件」を「和解」という言葉で表現した最初の人です。「和解」とは「神と人間との間で崩れていた関係が、本来あるべき状態に回復させられること」です。しかも、人間の側が一方的に壊してしまった信頼関係でありながら、神の方がキリストを十字架につけるという尊い犠牲を払って、神への反逆(罪)を生きる救いがたい者たちを、なお愛してくださった。「立派になったら救ってあげよう」ではなく、「罪ある者をそのままで救う」といううれしい知らせ(福音)を届けてくださった。このキリストの恵みにしっかり結びつけられて、神のパートナーとして働く使命を生きていこうではないか。「和解の奉仕」に生涯をささげたパウロの熱い祈りを、今日わたしたちはどう聴きますか。