私が前任教会で主任牧師になることが決まった時、大谷恵護先生が連絡をくださって、牧師館で一日、先生ご夫妻とじっくりお話する機会をくださったことがありました。36歳という若い時でしたから、心配してくださったのでしょう、先生の牧会哲学についての豊かな話を伺うことができました。
この時、教会の歴史を大事にすることを教えられました。教会の良い時代だけではなく、うまくいかないように見える苦難の時こそ、教会の大切な機会なのだということを教えられたのです。
遣わされる教会にも、痛みの歴史がありました。その痛みに蓋をするのではなく、その時何が起こり、何を間違い、何を祈ったのか、そのことを問い直すことなしに新しい歴史は生まれないということを肝に銘じることができました。これから始まる主任牧師としての仕事のパースペクティブ(眺望)が見えてきたように思いました。雪の降る一日でしたが、すがすがしい思いで牧師館から家路についたことを覚えています。
教会には、良い時もあれば、苦難の時も起こります。しかし、そこで苦闘しながらも懸命に闘ってきた信徒の歴史があるのです。そこで必死に信仰の喜びに生きている人々がたくさん存在します。その証し一つ一つを丁寧に掘り起こしていく時、その人々を生かしてやまない主イエス様がおられるということがわかります。掘り起こせば掘り起こすほど、そこに主イエス様がおられ、掘り起こした底で十字架にかかっておられる恵みを知らされます。教会は、このイエス様の十字架に支えられているのです。掘り起こしつつ、この主イエスに出会い、この主イエスに支えられて、教会が成長していく(エフェソ4章)醍醐味にあずかりたいと思います。