日本バプテスト連盟とルーツを同じくする西南学院(福岡)が今年四月に創立百周年を迎えるに際し、自らの「戦争責任・戦後責任」を公表しました。
なぜ、このようなことを考え、実行するに至ったか。西南学院前院長である寺園喜基氏は、かつて西南学院が学生たちに「心中深く天皇陛下万歳を唱えて、雄々しく出陣するのだ」(『西南学院新聞』1943年2月25日発行)と呼びかけて戦争に送り出した歴史を振り返りつつ、次のように述べています。
…たしかに、西南学院とその指導者たちは決して戦争遂行者でも積極的な戦争協力者でもありませんでした。時の政府と時代の精神に逆らっては、学院の存立は危うかったでしょう。しかし戦後、歴史を振り返って、「あの時は間違っていた」と告白する文章は『西南学院新聞』の何処にも見当たらないのです。…(略)…あの時は消極的にでも従わねばならなかったでしょう。それは仕方のないことだ、というのがあの時の姿勢です。しかし、戦後、あれは間違っていたと表明しなかったなら、あの時の姿勢は今でも変わっていないことになります。前進のためには罪責の告白がなくてはならないと思います。(『西南よ、キリストに忠実なれ 西南学院創立百周年に当たっての平和宣言』より)。
「戦争責任」と「戦後責任」を真摯に見つめることは決して「自虐」ではありません。わたしたちの間にイエス・キリストを送ってくださった神の「平和への深い祈り」に呼応して、自らの責任を見つめ、「平和実現への一歩」を具体的に踏み出していくための罪責告白なのです。
「主は平和を宣言されます。ご自分の民に、主の慈しみに生きる人々に。彼らが愚かなふるまいに戻らないように」(詩編85・9)。