一月二八日の未明に八九歳で天に召された小松延寿さんは、ご自身の葬儀に関するメモを頼子さんに託しておられました。小松さんは愛息の邦生さんが五歳で天に召されてちょうど一年後の一九七九年一一月に秋川渓谷でバプテスマを受けられましたが、その時に用いられた詩編一一五編と賛美歌『わが君イエスよ 罪の身は』(新生讃美歌四〇一番)を、ぜひ自分の葬儀で読み、歌ってほしいと託されたのでした。告別式でバプテスマの賛美歌を歌うのは初めての経験でしたが、小松さんがご自身のバプテスマに込めた熱い想いがストレートに伝わってくるようで、胸にしみました。
告別式でもう一つ用いたのがコロサイ書一章一三~一四節と三章三節ですが、これは緩和ケア病棟に移られた小松さんをお見舞いした時に一緒に読んだ箇所です。「小松さんの教会の子どもたちがみんなお祈りしていますよ」と話しかけると、右手の指を三本立てたので、「えっ、三人?」と不思議に思いながら尋ねると、小松さんは「三千人!」と言ってニヤリと笑ったのでした。病床でも最後までユーモアたっぷりの小松さんでした。
コロサイ書はこう語ります。「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです」(3・3)。ここで「あなたがたは死んだのだ!」とは「キリストと共に死に、キリストと共に復活させられている」キリスト者の命のことを指しています。キリスト者の命は「この世に死ぬ時に生かされ、キリストと共に神の内に隠されている」不思議な命です。この不思議な命に小松さんは最期まで生かされました。私たちもまたキリストにつなげられ、教会につなげられ、祈り、賛美、精一杯の奉仕をささげ、この不思議な命を共に受けていきたいのです。