巻頭言『神はすべての人に「見る」方法を与え』大谷レニー

私は、神学校にいた頃、盲目の人のために点字と録音のサービスを提供する会社で働いたことがあります。その会社の社長が原稿を口述し、私がタイプし、私がそれを読み上げるのを彼がテープに録音しました。彼自身も盲目でしたが、かっては目が見えたので、触覚で自分の靴下の色合わせができました。

 彼は、香港出身の目の見えない若い女性(ルーシー・チン)のスポンサーをしていました。彼女は教会音楽の勉強に奨学生として神学校に来ていました。ルーシーは生まれたばかりの時に薬の事故で目が見えなくなり、色を見たことがありません。彼女は最初「見える」という意味を知りませんでした。子どもの頃、兄弟姉妹とゲームをするといつでも自分が負けるので、どうしてなのとお母さんに聞いたそうです。お母さんは彼女が「盲目」だからだと答えました。彼女は、「盲目ってどういう意味?」と尋ね、お母さんが目が見えないという意味よと答えると、今度は「見える」とはどういう意味かと尋ねました。それまで彼女は他の人も皆自分と同じように「目が見えない」と思っていたのです。

 ルーシーと私は仲の良い友だちになり、私は彼女から多くのことを学びました。「耳の訓練」を彼女に教えていたとき、彼女の「絶対音感」が完璧であることに気付きました。最初は、彼女がどの音も間違って識別するので私はイライラしました。後で分かったのですが、使っていたピアノの音が半音低くかったため、彼女はピアノよりも半音高めに音を「正しく」識別していたのです。

 神はすべての人に「見る」方法を与え、私が見ることのできない多くのものをルーシーは「見る」ことができました。彼女は色を見分ける自分の方法を知っていて、彼女の世界は私には見えない様々な色で一杯でした。

 「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」(第一コリント二章九節)。

  (『レニー・ノート』#109 二〇一二年五月一八日より)