私たち大井バプテスト教会は今年度の主題テーマとして『大井バプテスト教会の再構築』 を選び取りました。この言葉は内に強い力を含んでいます。この言葉は私たち教会の実情を 貫きます。ゆえに過激な言葉です。私たちは自分達が長年親しみ愛してきた旧礼拝堂が取り 壊され崩壊していくのを痛みと希望を抱きながら見届けてきました。土台に至るまで掘り起こされ処分されました。その上に今の礼拝堂が『再構築』されたのです。『再構築』は以前に存在していたものの崩壊が前提になります。
私たちは今日まで積み上げてきた教会の本質理解と実際、つまり信仰、そこに始まるあらゆる働き、伝道と宣教、プログラム、礼拝に始まるあらゆる牧会活動、交わり、組織(仕事の 分担)、運営、教役者を含む私たちそれぞれの人事などなど。『教会の再構築』は現状への激 しい点検と批判と吟味の結果何を残しまた捨て去るかの選別を求めます。この作業には私たち信徒一人一人が説教者なのだ。牧師、教役者にあたりまえのこととして委託している説教を自分達に取り戻し自分達信徒が説教を担う主体なのだ。こうしたバプテスト本来の告白への「覚悟」を『大井バプテスト教会の再構築』の宣言により新しく引き受け直したのではないでしょうか。
パウロの回心は圧倒される劇的な姿で起こされました。ルカはその事件を使徒言行録で
三回に渡り報告しています(使徒言行録9 章、22章、26 章)。しかしパウロ自身はこのイエス・キリスト体験を一度も語らないのです。バウロにとりこの大事件は自分の命と力をかけてきた熱烈な宗教心、律法の厳守、正義感、研鑽、決断が粉砕された瞬間でした。『イエス・キリストの恵みと許しと愛』により起こされた回心、再構築、再創造だと彼自身知らされたことがその理由だと学んでいます。私はさらにパウロはこの事件の次第を自分の言葉で記さないだけでなく、記すことができなかったのだと理解しています。イエス・キリストによる回心、再構築、再創造はただただ上からの『賜物(ギフト)』なのです。
大井バプテスト教会を構成するわたしたち一人ひとりの信仰と交わり、敷地、旧礼拝堂、新礼拝堂、教育館などあらゆる建物、施設、付属あけぼの幼稚園、これら全てを含む「大井バプテスト教会の歴史」は上よりの『恵みの賜物(ギフト)』です。
『イエス・キリストの恵みと許しと愛』があらゆるものの先にあることを信じる信仰を求める祈りをいただきましょう。