巻頭言『愛し抜かれた「一人」』加藤 誠

 主イエスや弟子たちから信頼を得ていたユダが「なぜ」裏切ったのか。そのユダの裏切りを早い段階から察知していたと思われる主イエスが「なぜ」それを正すことなく放置していたのか。ユダに関してはほとんどが「分からないことだらけ」です。

 ヨハネ福音書十三章の最後の晩餐の場面を読みながら、主イエスが「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」(26節)と言ってパンを手渡し、それをユダが受け取った時に「サタンが彼の中に入った」(27節)という記述に胸が苦しくなります。「(ユダは)すぐ出ていった。夜であった」(30節)。この晩餐の席で最後の最後まで迷っていたであろうユダが、主イエスの一言で心を決めていくのです。それは、ユダが「世の光」である主イエスのもとを離れて「世の闇」に自らを沈めた瞬間でした。

 人間が罪に落ちるのは一瞬です。自分でも思ってもいない、何かの力に引っ張られて一瞬で暗闇の中に落ちていく。そういう「説明できない、分からないもの、コントロールできないもの」を抱えている私たちではないでしょうか。ユダもまた、最後まで自分自身の中の「分からないもの」に苦悩し続けた人かもしれません。主イエスを愛し、神を信じたい。でも「そうではない、そうできない自分」が自分の中にうずいている……。

 そんなユダの姿を思い巡らしていると、ヨハネ十三章一節の言葉が深く迫ってきます。「イエスは…世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」。「分からないことだらけ」のユダに関して一つだけ確実なこと。それは、ユダもこの主イエスによって愛し抜かれた「一人」であるということです。